僕がシュリーマンになるまで(仮)

How I become a multilingual millionaire

小説第4章18

Raffles Placeのオフィスに久しぶりに帰ってきた。

いつもの守衛にいつものように挨拶をするが、やはりいつものようにはいかない。エレベーターのドアが閉まると、すぐに押さえつけられるような下向きの重力を感じ、やがてオフィスの入り口に到着する。1週間ぶりの職場は、何も変わっていないように見える。少なくとも一見したところは。

今日は土曜日だから事務所には誰もいないはずだが、有馬達3人が戻ってくると聞いて次長が出勤していた。一通り、3人で状況を説明する。詳しい状況はすでに共有されているのだろう、言葉少なに話を聞いていた次長は大きく頷き、とにかく家に帰って体を休めるように言った。

(荷物をとりあえず置かないと・・・)

有馬が出張で借りた業務用PCやカメラ等一式を置くために一番奥側の自分の席に戻ると、真向かいにある三木の席に思わず目が行った。

大きな花瓶に花が活けられて飾られている。

ああ、なんて日本的なんだろう。まるでドラマの中の教室みたいじゃないか。

有馬にはそれがあまりにもベタ過ぎて、色々な感情が混ざってきてしまって思わず涙がこぼれそうになるのだった。


(そうだ、彼のパソコンのログを取っておかないと・・・)
 何か事前に兆候がなかったのか、パソコンで確認を行うように言われていた有馬は、ほんの1か月前まで自分の席だった三木の座椅子に座り、パソコンを起動しようと机の上のデスクトップ端末に目をやって、そしてふと手を止めた。デスクトップの躯体に、絵葉書のようなものがテープで貼られている。

 

「どんなにつらくても
 ぼくはやめないぞ、
 きっとこらえるぞ と、
 かま猫は泣きながら
 にぎりこぶしを 握りました。」

宮沢賢治「猫の事務所」より

 

 

そこには、まるで三木のような大きな体の猫が、スーツを着込んで、涙を流しながら歯を食いしばって耐えている姿が、絵葉書にコミカルに描かれていた。

有馬はしばらくそれを眺めていた。ほんの短い間だったというのに、三木が一体どんな気持ちで毎日これを眺めていたのか、そして一体どこからこんなものを仕入れてきたのか。

赴任前から何かとハラスメントを受けていた三木の心情を思い、ひそかにこの絵葉書を見ながら心を奮い立たせていたであろうことを考えると、ふと目がしらに涙がにじんできた。発作的なものとはいえ、よほど辛くてこらえられなかったに違いない。そのにぎりこぶしを、使ってしまってもよかったんじゃないのか。

これだから日本人の職場は。

これだから…

パソコンを起動することも忘れ、有馬は呆けたように、長い間言葉もなくじっとその絵葉書を眺めた。