僕がシュリーマンになるまで(仮)

How I become a multilingual millionaire

昔話:僕と英語⑤ MS時代

 さてシンガポールで仕事を探すことになったものの、僕の経歴は基本的に役所経験しかないので、なかなかうまくマッチする業界がありません。色々探した挙句、なぜかITエンジニアとしてMicrosoft社に潜り込むことに成功しました。仕事はPricing Analyist、Microsoftボリュームディスカウント(大口顧客向けの割引価格表)の整備です。日本向け価格部門は5人程度の小所帯で、シンガポール人1名と日本人4名のチームでした。

 この時の上司が幸運にも同じ学部の先輩のSさんで、彼の指示を元にExcelにらめっこする日々が続きます。高校入学時にPCを使い始めた僕は、ITの仕事についてもある程度素養があったので、簡単なSQLプログラミングやExcelの計算には全く問題がありませんでしたが、言葉に関しては日本チーム内では日本語を使うものの、職場全体を見ればやはり英語です。

 ここで、僕はようやく自分の英語がそれほどでもないことを痛感することになります。Microsoftは周知の如くアメリカの会社なので、当然そこでのやり取りは全てアメリカ英語が主流です。アメリカ的なスラングや慣用句が使い慣れない上、一方でオフィス内の同僚はシンガポール人もしくは永住者がほとんどで、彼らの話す英語にも独特の抑揚があります。正直、役所のぬるま湯から飛び込むにはいささかお湯が暑すぎました。

 この会社でしばらく過ごすうち、僕の滞星期間も気付けば4年になろうとしていました。30数年の人生の中で4年はそれなりの期間です。その頃嫁さんとも結婚し、あるいはシンガポールの永住権を取ってHDBアパートを購入する選択肢もあったのですが、それよりも「出来れば日本に一回住んでみたいね」という話がよく出るようにもなりました。

そうだ、東京に行こう。何年か住んでみて、それからシンガポールに戻っても遅くないだろう。

僕らは試しに東京に移住してみることにしました。

(つづく)