僕がシュリーマンになるまで(仮)

How I become a multilingual millionaire

昔話:僕と英語④ シンガ時代

 僕がシンガポールに派遣される期間は最初から2年間と決まっていました。なので、それが終わったら地元に帰って県庁に復職するのが当然であったわけです。でも結論からいうと、僕は2年間が終わった時点で退職し、そのままシンガポールに残ることを選びます。

 いくら世事や人情にうとい僕でも、さすがにそのタイミングで退職するのは社会人として如何なものかと大分悩みました。でも正直に言えば、僕のシンガポール駐在2年間は決して順風満帆なものではなくて、公私ともに色々なトラブルが続き心底うんざりしていたのです。そこで一旦人生をリセットしたい気持ちでした。

 また、仕事をする中で生まれた「出来ればこういう仕事を一生続けたい」という願いは大きくなる一方で、県庁に戻った際の職場が全く異分野の部署になりそうであったことも、退職の気持ちに拍車をかけました。

 僕が当時考えたことは:県庁に戻れば、いずれ延長されるであろう70~75歳の定年まで「住むエリア」と「仕事内容」、そして「給与」を全て他律的に決定される仕事人生がその先40年以上続きます。役所なので「仕事内容」に専門性や一貫性はなく、人事ローテーションで数年ごとにリセットされまた別分野の仕事がイチから始まります。もちろん、場合によっては再度やりがいのある素晴らしい職場環境に恵まれることもあるでしょう。しかしその逆もまた然りで、一旦酷い部署に回されたら数年はそこで耐えねばなりません。一般の人が思う以上に公務員はサービス残業が多いので、例えば本庁勤務になれば私生活にもそれなりの支障が出ます。また、役所の人事は「ネガティブチェック」を基本としているので、一旦人事評価に何らかのバツがつけば、基本的にそれを挽回することは無理だと思わねばなりません。

 このいわば「役所すごろく」を定年まで大過なく勤め上げ、定年後は関連団体に再雇用されて比較的余裕のある「老後」を過ごすというのが公務員人生のいわば青写真になります。

 

 当時ここまで考えた上で、自分の目指す新しい方向性とこの「すごろく」の絵は基本的に相容れないものだと考えました。いずれ必ずどこかで飛び出すだろう、とも。そして、いずれ飛び出すなら少しでも早い方がいい気がしました。当時30歳だった僕は、ある意味先の読めている人生より、不安定でも何かがありそうな新しい人生に賭けてみようと思ったのです。

 

 こうして僕のシンガポール生活第2部が始まりました。嫁さんの実家に転がり込み、Microsoftアジア太平洋部門で価格分析者として勤務します。長くなるのでまた続きます(というか、今回の記事は英語関係なかった。。)

(つづく)