僕がシュリーマンになるまで(仮)

How I become a multilingual millionaire

昔話:僕と英語③ クレア時代

 さてCLAIR本部で1年間英語を鍛えられ、めでたくシンガポール事務所に赴任となりました。この職場はASEAN10か国とインドを担当地域として、要は各国の内務省関係者とパイプを作り、日本の各自治体との姉妹都市連携や交流事業を仕掛けて行きましょうという場所でした。

 初めて海外に腰を据えて住むわけなので、住居探しから何から何まで英語で頑張ろう・・と思っていたのですが、意外と英語どっぷりの生活にはなりません。何しろ平日は純然たる日系機関で日本語での執務、かつ夕方からの飲みニケーションも日本語。職場に現地職員はいるもののほとんど日本語ペラペラな人々なので、その気になれば日本語しか発せず一日を終えることも可能な環境なのです。業務上、英語で電話することなんて一体何回あるんだろうというレベルでした。

 仕事はいくつか担当事業を持たされ、月イチのペースで担当国に出張する感じでした。一年目の担当国はインド、ミャンマー、そしてフィリピン。またもや最前線な国ばかりです。

 その中で今でも忘れられないのが、赴任して一発目のインド出張です。4月1日に赴任して家も決まってないのに、4/21から出張を申し渡されました。家探しは2日目にはもう契約まで進み、必要な家財の準備やら慌ただしい中での出発でした。

 インドの人々の話す英語は本当に独特なアクセントがあって、人によっては苦手らしいのですが僕は平気でした。もしかしたらイギリス英語に慣れている点もあったのかもしれません。デリーの官庁街で外務省や内務省関係者と面談した後、ムンバイに飛びマハラシュトラ州の担当者と会うなど、これまたそれまでにはない英語を使う経験というか、ちょっとした通訳のようなことをしたり、デリーの街中を出歩いてみるなど刺激的な日々を送ることが出来ました。

 

 当時思ったのは、入庁当初はせいぜい本庁国際課で仕事をするのが県職員人生のせめてもの願いだったのが、国際課職員になったばかりでなく一足超えにインドまで来て仕事をしている-出来ればこういう、外国語を使って色々な国の人々と関わる仕事をずっと続けていきたいな、ということでした。

今振り返ると、この点にだけは自分の人生はブレがないように思います。

 

その後僕は2年間、シンガポールを拠点に東南アジアとインドを行ったりきたりしながら自治体交流事業の仕掛けに精を出すことになります。

(つづく)