僕がシュリーマンになるまで(仮)

How I become a multilingual millionaire

小説第1章01

第1章 始まり

 東北の冬は得てして気まぐれである。

 その日の朝、15分間の乗車を終えた有馬哲郎が東北新幹線を降り福島駅を出ると、駅前広場は辺り一面の銀世界と化していた。少し前に郡山に降った雪はもうすっかり溶けてしまい、ここ数日は透き通った冬の青空が広がっているというのに、JR郡山駅から福島駅までの間約50km、トンネルをいくつか越え山を隔てるだけでこれだけ違いが出ること自体が、今さらながら有馬には興味深く新鮮なことに思えるのだった。

 東京での大学生活を終え福島県庁に入庁してからほぼ3年、有馬にとって地元とはいえ、高校までの18年間は郡山市内を中心とした小さな世界に終始していたから、都会から帰ってきて改めて目の当たりにする故郷は、まるで異郷にいるような戸惑いを与えた。

 採用初日、大勢の同期と本庁舎で晴れて「福島建設事務所勤務を命ず」という辞令を受け取った直後、有馬は一人だけ呼び出された。妙に青白い顔をして少し酒臭い息を吐く人事課の若い職員は、昨夜の深酒が祟っているのか片方の眉を神経質そうにしかめながら、極めて事務的に「じゃあ、君だけはこれから電車でここに向かって下さい」と有馬に一枚の紙を渡した。そうして有馬はその日のうちに福島市郡山市のちょうど中間にある二本松市の県合同庁舎に一人送り込まれたのだった。

 福島建設事務所自体は本庁東分庁舎内にあり職員100人を超えるマンモス事務所だったが、その二本松駐在事務所は総勢8名の小所帯でしかなかった。とある本庁採用同期はこれを島流しと呼び憐れみ、有馬は有馬でこれはニホンマツ虜囚であると憤慨していたが、やがて万事に慣れてくるにつれ、出先勤務ののどかな時間の経ち方は、必ずしも悪くないことに気が付いた。

 ここ二本松に有馬は用地課職員として駐在扱いで2年間通勤していたから、3年目を迎える異動でようやく駐在を解かれたときは心からほっとした。福島の事務所本体に席が移ったときに、初めて県職員としての実質的なスタートを切ったようなものだった。

 春には大量の花粉に悩まされ、夏は35度を超える猛暑に晒される福島盆地ではあったが、しかし有馬にとっては「出先の出先」から県都に戻され、本庁の至近にあって県政の動きを間近に感じることが出来るのはやはり嬉しいことだった。二本松時代には隔絶されていた県庁の同窓会やサークルにも参加し、登山と英会話が週末の楽しみとなった。高校でも大学でも、知っているOBを辿っていけば大体の幹部連中には繋がっているから、少しマメに飲み会に顔を出せば、普段は口もきけないようなお偉方と気軽に話が出来るようになるのも福島に居ればこそのことだった。

 朝夕の新幹線通勤は快適そのもので、大体8時までに郡山駅のプラットホームに着けば、15分後には福島駅に着く。そこから15分間、県庁に向かう多くの職員の流れに溶け込んで、大好きな洋楽を毎朝2曲ずつ聴いて8時半少し前に東分庁舎に滑り込む。それが、半年以上をかけようやく確立された有馬の朝のリズムであり、その日も吹き付ける雪に首をすくめながら、いつもの中央大通りを県庁に向かって歩くのだった。
 それは、いつもと変わらないありふれた冬の一日となるはずだった

 通常なら、業務開始からしばらく経ち朝9時を過ぎた頃に、ようやく有馬の机の前に何名かの来訪者が列を作り始める。建設事務所の行政課は、簡単に言うと各種の許認可手続きの窓口だ。道路や河川敷の使用許可や、建設業の認可を求める建設会社や行政書士、あるいは「ちっとも県民の目線で物を考えていない」高慢なる木っ端役人に正義のお灸を据えるべく、苦情を訴えに一般県民がひっきりなしに訪れる、事務所の中でもごく限られた対外折衝の窓口の一つだ

 有馬は入庁3年目の職員とはいえ態度だけは一人前に偉そうにしたものだったから、着任早々容赦なく県営住宅管理と宅建業許認可担当を命ぜられてしまった。「鉄は熱いうちに打て」の格言通り、顔を出したその週のうちにいきなり簡易裁判所に連れていかれ、調停委員を交えた三者面談によって県営住宅の家賃滞納者に支払調停を行うはめになってしまった。

 不動産関係の来客も一筋縄ではいかない猛者ばかりで、何も知らない有馬は小馬鹿にされ泣きながら宅建業法を身をもって覚えていくことになった。ざっくり言えば、来訪者の8割までは普通に手続きが済んですんなり帰ってもらえるのだが、残り2割は時間と気遣いと言葉を多大に要する、海千山千の皆さんである。残念なことに、ここにも例の「パレートの法則」とやらは例外なく作動していて、彼らは有馬の労働時間のうち8割分の手間を常に持っていってしまうのだった。


 加えてその年は折悪しく全県規模で県営住宅の未払い督促キャンペーンを始めたものだから、有馬は毎月のように夕方の時間帯を狙って、家賃滞納者が住む団地の駐車場に公用車で乗り付け、そのまま一気に階段を駆け上り、未払い家賃の支払いを求めてサラ金まがいのことをしなければならなかった。夜討ち朝駆けとはよく言ったものだが、後年シンガポールで眼にすることになる借金取り立て業者-Loan Shark-の如く、狙った滞納者の家をいつも訪ねて回っていた

  どうやらここは某同期の表現を借りるならば「県政の最前線」「県民と直に接し、その生の声に触れることの出来る得難い経験」が積める有難い職場らしいのだが、確かに時々飛び込んでくる流れ弾のような案件には、休日の爆弾処理班のように注意して取りかからないとあやうく名誉の戦死を遂げてしまいそうな環境ではあった。

 特に議員や地域経済界の有力者が絡んだ事案は複雑怪奇を極め、ただひたすら年功序列により「上司」と位置づけられている年配の同僚は、ただただ「貴職が担当である」との大義名分を以て、「何でも報告・連絡・相談してくれよ」とはいいつつ、爆発に至らない火種はすべて担当者が処理することになるのだった。

 有馬はここで「担当」という、それ一つで組織の抱える職責と病理をひたすら一個人に押しつけることが出来る魔法の言葉の不可思議さと(別な立場で言えば、「担当外」であるということの強烈な解放感)、「自分の身は自分しか守ってくれない」という役所界の公理を経験則的に身につけたのだった。けだし「アホな指揮官、敵より怖い」というのは旧軍時代から変わらず受け継がれた我が国の至言である。

  その日はちょうど、前年末に合格した宅建試験受験者が大勢で取引主任者登録を行い、その主任者証を大量交付する期間の最中だったから、主任者証を受け取りに来る人で有馬の前のブースには朝から大行列が出来ていた。しまいには座る場所がなくなり、隣の窓口にまで行列がはみ出し始めた。隣席で道路法許可を担当し、組合の老闘士として名を馳せた木村書記長は「有馬ん所は商売繁盛でいいなあ、俺んとこなんか誰もまだ来てねぇよ。ヒマでヒマで仕方がない。実にうらやましいことだ。」と心にもない軽口を叩きながら、ひたすら次回の支部オルグ用組合パンフレットを両手の人差し指をぎこちなく操りながらパソコンで作成するのだった。

  大抵そういう忙しい時に限って、別件で家賃の出納処理に失敗したという連絡が出納室から入ってきて、すぐに訂正作業を行わなければならなくなる。暫時対応を書記長先生にお願いして、手早く訂正書類をこしらえて本庁舎の出納室まで雪の降る中を書類を出しに行くのだった。午前中はこうして多忙のうちに過ぎていく。ようやく自席に戻り、薬缶から注いだ黄色い出がらしのお茶に顔をしかめつつ、しかしそれなりの充実感を感じながら机の上の主任者配布者リストに目を通していると、どうやら誰かがブース前に立ったようだった。

  「はい、こんにちは・・・」とつぶやきながら有馬が顔を上げると、そこに立っているのは常と変わらず能面のような表情をした次長の佐久間だった。

「有馬君、ちょっといいかね?」
 それが、全ての始まりだった。

有馬は自席に戻っていく佐久間の後ろ姿を追いかけながら、はて、何か呼び出されるようなことをやらかしたかなとやや不安になった。この事務所に入って1年、有馬が佐久間とまともに言葉を交わしたことは数えるくらいしかない。無表情は彼の常ではあったが、職場の一般論として、あえて主語と主題を特定しない「ちょっといいかね」という呼び出され方には、大抵碌なことがないことを有馬は知っている。

 そういえば最近、業務の手が空いた時に密かにネットサーフィンをしていることがある。この前なんか、思わずネットオークションのページを職場の端末か見ようか本気で迷ったくらいだ。噂では、情報推進課が全ての端末のログを取っていて、目に余る職員は個別に呼び出して注意しているという話を耳にしたこともある。
 まずいなあ、それぐらいしか思い当たることがないと心の中でブツブツ言っているうちに、自席についた佐久間の横でパイプ椅子に腰掛けている自分に初めて気がついたのだった。眼を上げると、事務所全体が遠くまで見渡せるような場所に佐久間の席はあった。

 なるほど、上役の席というのは上手い場所に置くものだ、などとどうでもいいことに感心していると、佐久間次長はため息を鼻から洩らすように鳴らし、次いで机の中から一枚の紙を取り出し、有田の前にそれを置いた。
「まあ、こういうことになったから。人事課から連絡が来たから、伝えます。まだ正式決定ではないから、口外はしないように。」
その声音には、どことなく心外というか、驚きにも似たニュアンスを有馬は感じた。言われて紙面に眼を落とすと、そこには-

「貴事務所の有馬主事を、財団法人自治体国際化協会派遣職員として決定しました。」

  という一文があった。有馬はそれを見て、ようやく疑問が氷解するのを感じると同時に、ほぉっ、まさかね、と-佐久間と同じように驚きを禁じ得ない自分を見い出していた。

 それはさかのぼること2ヶ月前のこと、やはり有馬は今回同様、突然ブースの前に立った佐久間に「ちょっといいかね」をやられたのだった。そのままブース前の椅子に座った彼は、有馬に向かって唐突に世間話を始めた。
「有馬君、最近仕事の調子はどうかね。」
突然次長から勤務時間に世間話をされるとは思っていなかった有馬は、無難に答えることにした。
「はあ、おかげさまでなんとかやっています」
「ところで有馬君は英語が好きなんだってね」
なにが「ところで」なのか皆目分からず、こう答えた。
「はい、本庁の英語サークルに入って、国際交流員と英会話の練習などしています」
「職員調書を見たけど、国際課での勤務を希望しているんだってね
「ええ、出来れば英語を使って仕事をする機会があればいいなと思っています」
「なるほどね。ふむふむ。」
 何がなるほどなんだろう、と有馬が訝しげに佐久間を見つめると、
「いや、実はこんな回覧が回ってきているのは知っているかな」
と、手にしていた一枚の紙を有馬の前に差し出した。

 そこには、「自治体国際化協会シンガポール事務所への派遣職員の公募(お知らせ)」という題で、3年間の期限で派遣する職員を庁内公募するという内容が載っていた。もちろん、有馬はその書類を数日前に課内回覧で眼にはしていたが、条件に「3年以上勤務している勤務態度優良な職員」という文言があったので、勤務態度自体はともかくとして、まだ採用されてから満3年を経過していない自分には初めから応募資格がないものと勝手に諦めていた。

 大体、シンガポールなんて何のイメージも湧かない。どうせ赤道直下だから、やたら暑い所に決まっている。しかもそれまで有馬はほとんど海外旅行に行けてなく、「外国にほとんど行ってないのに英語が比較的流暢に話せる自分」に妙な自信を持っていたので、海外に行くことでそれを自ら崩すようなことはしたくないとまで考えていた


「はい、数日前に目にしましたが、私は応募資格に該当しないと考えていました。今年でようやく3年目ですから」と述べると、
「いや、この3年以上というのは今年の4月時点での話だから、問題なく応募できるんだよ。というのは、所長ともちょっと相談してきたのだけれど、せっかくこういう回覧が回ってきているのに所内では誰からも応募がないんだが、あなたのことが少し話に出てね、勤務態度も真面目だし、本人さえやる気があるのであれば推薦しようかという話になったんだよ。やってみる気はある?」と意外なコメントが返ってきた。
「ええ、それは推薦していただけるのであればもちろんやってみたいです」
「分かった。ただね、こういうのは公募とはいいつつも、だいたい本庁勤務の有望な若手が数名リストアップされていて、その中から選ばれるのが常だからね。あなたのような20代かつ入庁したばかりの人が選ばれることはまずない、と考えた方がいい。」

ん、ちょっと風向きがおかしくなってきたぞ。

「ただ、次かその次の職場か分からないけど、いつか本庁に行って同じようなチャンスが回ってきたときの予行練習として考えれば、こうした経験を積んでおくのも一つあなたのためになることだから、期待はせずにとりあえず受けてみるといいよ。じゃ、やる気があるということで推薦しておくから、後日面接に行って下さい。よろしく。」
と諭すように有馬に伝えてから、佐久間は自席に戻っていったのだった。

  話を聞いて、最初の思わぬ評価に少し期待を持ってしまった有馬は、しかしその後の牽制でどうも肩すかしを喰らったような思いがしたが、まあ次長の言うことももっともなことなので、とりあえず面接自体は受けるだけ受けておくことにした。どうせ受からないなら、軽い気持ちでリラックスして受ければよい。

 そんなわけで当日、有馬の面接は他の職員とは違ってかなり破天荒なものだった(と後で聞いた)。薄汚れた土木部の作業着上下に身を包み面接の集合場所に向かった有馬は、会議室の廊下に30代と思しき若手職員数名が全員スーツに身を固め、いかにも本庁勤務のパリッとした出で立ちで待機しているのに驚いた。その日有馬は午前中に道路パトロールがあったので作業着で来ざるを得なかったのだが、如何せんこれではダメだ、服装からして勝負がついていると思った。こんな面接は全く時間の無駄だと思ったが、どうせ最初から勝負がついているのであれば、せっかくの面接だから試験官を笑わせてやろう。たくさん笑わせてやって、それで全員が笑ったら俺の勝ちだ、と有馬は新たに勝手な目標を掲げ、面接の場に赴いた。

 さて結果はと言うと、面接は有馬の圧勝に終わった。

少なくとも自分の中では。

 他の応募者とどんな話をしていたのか知らないが、有馬はあえてポイントをずらした回答で面接官を煙に巻き、くだらない答えを簡潔に述べて失笑ともつかぬ全試験官の笑いを得た。最後にはむすっとしていたお偉いさんが吹き出すのも確認した。(よし、とりあえずこれで笑いに関しては俺の圧勝だ、どうせ結果は知れている。)と、有馬は事務所の自席に戻るや否や面接のことはすっかり忘れてしまい、そのままずっと今日に至るまで失念し続けていたのだった。

-そして今日、また佐久間に呼び出されて今度はこの驚愕の通知を手にすることになったのだ。有馬は、思わず通知を凝視してしまった。どうやら間違いなく、選ばれたのは有馬であるらしい。時間が経つにつれて、驚きがどんどん大きくなってきた。この俺が、シンガポールか。
「まあそういうことで」
と、しばらくしてから佐久間が続けた。
「私も正直驚いているんだが、間違いなくこういう結果だから。内々定ということで、詳細は追って知らせます。いいね?」
事ここに至って、いいねも是非もない。
「はい。よろしくお願いします。」
そうして、有馬はシンガポールに赴任する切符を手に入れることになった。