僕がシュリーマンになるまで(仮)

How I become a multilingual millionaire

通訳という仕事01:敢えて訳さない通訳

 10年前の自分は東京のとある官公庁系の団体で、日本中の外国語指導助手のために研修会等を開催するような感じの部署にいました。特にスポーツ系の外国人指導員は色々なバックグラウンドの国々から来ていたので、研修会を3日間やるだけでも大掛かりなブース(同時通訳で7言語ブースとか)になってしまって、各言語ごとに最低3人の通訳を手配して、英語をキー言語として交代で各国語に訳してもらって意思疎通を図る、とかそういう仕事をやっていました。

 

 なので、通訳を使うことについてはそれなりに事前知識と経験があったのです。どういう通訳がダメで、逆にどういう能力が求められるかということについては自分なりに一家言を持っていました。しかしまさか自分が通訳になってしまうとは夢にも思わなかったのですが(今でもちょっと信じられない)、現場ごとに「自分に何が本当に要求されているか」という見極めについては割とセンシティブです。

 

 例えば、「本当に英語が分からない人」とネイティブのあいだに立って行う通訳は実に簡単です。ヒナの餌付けで言えば、ネイティブが提供する素材を全てこちらの口の中で十分に咀嚼して、ちゃんと理解してから与えてやればいいからです。餌を口に押し込むタイミングもこちらに主導権があります。

 ところが、「ある程度英語ができる人」とネイティブの間に立つとこれがやや難しい。なぜなら通訳の現場では、その日本人がどれだけ耳で理解しているか確認する暇もない一方でミーティングの時間は限りがあります。まさか一字一句訳してやるわけにもいかないので大意を大まかに伝えたりするのですが、人によっては通訳を介さないで聞き、話すことを好む人もいるのです。

僕的にはその辺は十分に理解しているので、手綱を放して全て任してみたりするのですが、やっぱり話が明後日の方向に行ってしまう。こうなってくるとまるでペットに徒競走をやらせるようなもので、愛犬に上手に障害物を越えさせるにはやはりそれなりのテクニックが必要になってきますし、通訳側としてテンポやリズムの主導権はやや失われがちです。

 

 そういう意味で、今日展示会中にあった通訳は、英語に堪能な大学教授の方がすべてリードしてやってくれたので、非常に楽といえば楽でした。ネイティブと英語上級の日本人専門家が同じ専門分野で会話をする場合、私の感覚では通訳はむしろ口を挟んではいけないと思います。もし思い違いや補足事項があれば口出しもしますが、仮に日本語で話してもらっても理解できないような高等分野の場合、むしろ通訳は黙して専門家に譲るのがマナーと考え、あえてあまり通訳はやりませんでした。その代わり、理解した大まかな流れは営業担当にフィードバックはします。といっても同僚も60%くらいは聞き取っているので、どの辺を切り取ってフィードバックするかがやや難しいところです。

 

明日はバンクーバーに移動です。

展示会

今週はデンバーに来ています。

とある製薬系の展示会に弊社がブースを出すことになったので、通訳兼ロジ担当として訪問者に応対するために来ました。

 

デンバー自体は何度も来ているので(たいてい冬にデンバー空港で乗り継ぎに失敗して、足止めくらうパターンが多かった)空港とその周辺はよく知っているのですが、今回のホテルは街中です。展示会場にも近い。で、今日の午後は自由時間だったのでCherry Creek Shopping Centerまで足を運びました。自分の備忘録的に書いておくと、Free Mall Rideで終点まで行き、公園横のGate Dから83Lに乗る。1st/Fillmoreまで多分15分くらい。

 

大きいショッピングモールだと聞いてきたのですが、思ったほどではない。LAのDel Amo Fashion Centerとどっこい。中では主にBrooks Brothers (1時間も滞在した!), Clarks (デザートブーツのright sizeがない), Allen EdmondsやJohnston&Murphyといったお店を見てまわりました。よさげな靴もあったけど、どうも高級路線ではない商品しか置いていないようで、例えばAllen Edmondsではコードバンがなかった。でもスエードのチャッカブーツはなかなかの品質と色でした。$395なのでちょっと中途半端に高く、購入は断念しましたが。

 

商品の知識は大事なので、時間さえあれば店を見て回って、どのような商品が流行っているのか肌で感じるようにしています。アメリカで言えそうなのは、お茶がやや流行りつつ印象があること(Bubble TeaとかTeavanaとか)、ラーメン類は割とポピュラーな感じがすること。このあとVancouverで見る方が、より流行りのものに触れられそうな気がしています。

 

明日から展示会が本格的に始まるので、体を休めようと思います。

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そうだ、シュリーマンになろう

本ブログの初投稿@US。

 

 このブログは技術通訳として日々の糧を得ているZenが一念発起し、Heinrich Schliemannのように多くの言語を習得し、海外貿易によって財を成し富豪に成り上がるまでのライフログです。

 

 僕がSchliemannの人生に触れたのは高校1年生の時で、学校の図書館でふと手にした自伝(E.ルートヴィヒのもの)に衝撃を受け、あまりの衝撃にそのまま本を3年間借り続けボロボロになるまで読み込んだものでした。

 

何が当時10代の僕の胸をうったのか?

ハンブルグの貧乏な丁稚奉公時代から7か国語を瞬く間に習得し、クリミア戦争のロシアで財をなすまでの痛快なサクセスストーリー

・ヨーロッパ、アメリカはもとより、引退後は幕末の日本にまで足を延ばし旅行記を書くなど、躍動する19世紀後半にコスモポリタンとして世界を闊歩したその進歩性

・小さい頃に温めていたテーマを中高年になってから叶えようとした情熱(これについては後付けだという説が有力ですが。。。)

・先入観を持たず、物事をありのままに捉えようとする柔軟性

などなど、語りだすとなかなか止まりません。

 

 僕も最初は地元で丁稚奉公みたいなことをやっていましたが、縁あって海外との関係が出来、広い世界を見たことで地元を飛び出し、その後どうにか今日までやってこれました。東京の中心にあって通訳として海外のメーカーとやり取りを行い、年に数回欧米に業務出張できる今の環境は決して悪くないのですが、僕が30歳前に役所を辞める時に決めたテーマは、今にして思えばつまりは「そうだ、シュリーマンになろう」なのです。

 

 その後紆余曲折ありましたが、最近ようやく本格的に貿易商人になる気運が高まったように感じます。僕の意識の中では、自分は国籍こそ現状では日本ではありますが、あまり日本に縛られたものの見方はしておりません。自分的に、「母国の重力に魂を引かれた人たち」からの離脱も一つの大事なテーマです。

 今後ともよろしくお願いします。

 

緒言に代えて