僕がシュリーマンになるまで(仮)

How I become a multilingual millionaire

第1章03

 有田は自席に戻っていく佐久間の後ろ姿を追いかけながら、はて、何か呼び出されるようなことをやらかしたかなと不安になった。この事務所に入って1年、有田が佐久間とまともに言葉を交わしたことは数えるくらいしかない。無表情は彼の常ではあったが、職場の一般論として、あえて主題を特定しない「ちょっといいかね」という呼び出され方は大抵碌なことがないことを有田は知っている。
 そういえば最近、業務の手が空いた時に密かにネットサーフィンをしていることがあった。この前なんか、思わずオークションの入札を職場の端末から入れようか本気で迷ったくらいだ。噂では、情報推進課が全ての端末のログを取っていて、目に余る職員は個別に呼び出して注意しているという話を耳にしたこともある。
 まずいなあ、それぐらいしか思い当たることがないと心の中でブツブツ言っているうちに、自席についた佐久間の横でパイプ椅子に腰掛けている自分に初めて気がついたのだった。眼を上げると、事務所全体が遠くまで見渡せるような場所に佐久間の席はあった。
 なるほど、上役の席というのは上手い場所に置くものだ、などとどうでもいいことに感心していると、佐久間次長はため息を鼻から洩らすように鳴らし、次いで机の中から一枚の紙を取り出し、有田の前にそれを置いた。
「まあ、こういうことになったから。人事課から連絡が来たから、伝えます。まだ正式決定ではないから、口外はしないように。」
その声音には、どことなく心外というか、驚きにも似たニュアンスを有田は感じた。言われて紙面に眼を落とすと、そこには-
「貴事務所の有田主事を、財団法人自治体国際化協会派遣職員として決定しました。」
という一文があった。有田はそれを見て、ようやく疑問が氷解するのを感じると同時に、ほぉっ、まさかね、と-佐久間と同じように驚きを禁じ得ない自分を見い出していた。

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中国語000:僕の中国語学習遍歴

 僕が中国語を勉強しようと思ったきっかけは、県庁に入った最初の年に遡る。当時、人事課主催で庁内職員を対象に「中国語講座」が開催されていた。毎週水曜日の夕方から、国際課に中国武漢省から国際交流員(CIR)としてJETプログラム経由で配属されている先生を相手に中国語の基本を習う講座だ。

 別に何か興味を引く分野があったわけではないけど、「中国語も出来るようになればもしかしたら国際課に行きやすくなるんじゃないか」という下心があったのは確かだ(てかそんな動機ばかり)。半年間ピンインの基礎をみっちり教えられたけど、仕事が忙しかったのもあるし興味がないこともあって、しばらくするとまるでインカ帝国のごとく全部忘れてしまった。

 そのあと、中国語のことを思い出したのはシンガポール赴任が決まってからだ。「そういえばシンガポールでも中国語が話されているらしい」程度で、正直CLAIR本部で英語でも大変なのに同時に中国語を学ぶ気にはならなかった。

 状況はシンガポールに行ってもそんなに変わらない。研修の一環で中国語の先生がついてマンツーマンレッスンを受けてはいたのだが、大陸出身の先生が話している中国語をその辺のお店に行って使うと、明らかに何かが違う。必要がないから勉強しない。勉強しないから通じない。通じないからやる気も出ない。こういう悪循環のサイクルを常にグルグル回ってきたわけだ。

 

 こうやって思い返すと自分のやる気のなさになんだか悲しくなってくるが、要はそんな感じで初級者に毛が生えた程度のレベル(お店で注文ができるとか日常の挨拶ができる程度の話)でここ10年くらいの間ずっとさまよってきたのが、まあ僕の中国語の実態である。考えるとこれはこれで凄い。普通だったらこういうフラストレーション、「なんでいつまで経っても話せないんだよ!」という怒りを抱えたまま悶々と時間を徒過することは耐え難いはずだ。とっくに中国語のことなんか忘れているに決まっている。というか忘れたい。忘れて西洋言語の世界に行ってしまえばいい。なのにどうしても中国語を話したい。話さねばならない。なぜか。

義理の家族が全員中国語オンリーでコミュニケーション取るからです。

・・・で、今回自営業となり身の程しらずにも「現代のシュリーマンを目指す」とか何とかやっちゃったからには、まずこの宿年の大敵、中国語の野郎をなんとかねじ伏せ、少なくとも意思疎通が問題なく出来るレベルにもっていこうというのが現在の状況です。

 昔中検4級は取って、そのあと1500語ぐらいは単語を覚えたのでまあ多分中検3級レベルでしょう。こんなショボいレベルからどれだけ上げることが出来るのか?請うご期待。

第1章02

 通常なら、業務開始からしばらく経ち朝9時を過ぎた頃にようやく有田の机の前に何名かの来訪者が列を作り始める。建設事務所の行政課は、簡単に言うと各種の許認可手続きの窓口であり、道路や河川敷の使用許可や、建設業の認可を求める建設会社や行政書士、あるいは「ちっとも県民の目線で物を考えていない」高慢なる木っ端役人に正義のお灸を据えるべく苦情を訴えに一般県民がひっきりなしに訪れる、事務所の中でもごく限られた対外折衝の窓口の一つだ。
 有田は3年目の若手職員とはいえ態度だけは一人前に偉そうにしたものだったから、着任早々容赦なく県営住宅管理と宅建業許認可担当を命ぜられてしまった。「鉄は熱いうちに打て」の格言通り、顔を出したその週のうちにいきなり簡易裁判所に連れていかれ、調停委員を交え三者面談によって県営住宅の家賃滞納者に支払調停を行うはめになってしまった。

 不動産関係の来客も一筋縄ではいかない猛者ばかりで、何も知らない有田は小馬鹿にされ泣きながらも宅建業法を身をもって覚えていくことになった。ざっくり言えば、来訪者の8割までは普通に手続きが終わればすんなり帰ってもらえるのだが、残り2割は時間と気遣いと言葉を多大に要する、海千山千の皆さんである。残念なことに、ここにも例の「パレートの法則」とやらは例外なく作動していて、彼らは有田の労働時間のうち8割分の手間を常に持っていってしまうのだった。
 加えてその年は折悪しく全県規模で県営住宅の未払い督促キャンペーンを始めたものだから、有田は毎月のように夕方の時間帯を狙って、家賃滞納者が住む団地の駐車場に公用車で乗り付け、そのまま一気に階段を駆け上り、未払い家賃の支払いを求めてサラ金まがいのことをしなければならなかった。後年シンガポールで眼にすることになる借金取り立て業者-Loan Shark-の如く、狙った滞納者の家をいつも訪ねて回っていた。

 どうやらここは某同期の表現を借りるならば「県政の最前線」「県民と直に接し、その生の声に触れることの出来る得難い経験」が積める有り難い職場らしいのだが、確かに時々飛び込んでくる流れ弾のような案件には休日の爆弾処理班のように注意して取りかからないと、あやうく名誉の戦死を遂げてしまいそうな環境ではあった。特に議員や地域経済界の有力者が絡んだ事案は複雑怪奇を極め、ただひたすら年功序列により「上司」と位置づけられている年配の同僚は、ただただ「貴職が担当である」との大義名分を以て、「何でも報告・連絡・相談してくれよ」とはいいつつ、爆発に至らない火種はすべて担当者が処理することになるのだった。

 有田はここで「担当」という、それ一つで組織の抱える職責と病理をひたすら一個人に押しつけることが出来る魔法の言葉の不可思議さと(別な立場で言えば、「担当外」であるということの強烈な解放感)、「自分の身は自分しか守ってくれない」という役所界の公理を経験則的に身につけたのだった。けだし「アホな指揮官、敵より怖い」というのは旧軍時代から変わらず受け継がれた我が国の至言である。

 

 その日はちょうど、前年末に合格した宅建試験合格者が大勢で取引主任者登録を行い、その主任者証を大量交付する期間の最中だったから、主任者証を受け取りに来る人で有田の前のブースには朝から大行列が出来ていた。しまいには座る場所がなくなり、隣の窓口にまで行列がはみ出し始めた。隣席で道路法許可を担当し、組合の老闘士として名を馳せた木村書記長は「有田ん所は商売繁盛でいいなあ、俺んとこなんか誰もまだ来てねぇよ。ヒマでヒマで仕方がない。実にうらやましいことだ。」と心にもない軽口を叩きながら、ひたすら次回の支部オルグ用組合パンフレットを両手の人差し指をぎこちなく操りながらパソコンで作成するのだった。

 大体そういう忙しい時に限って、別件で家賃の出納処理に失敗したという連絡が出納室から入ってきて、すぐに訂正作業を行わなければならなくなる。暫時対応を書記長先生にお願いして、手早く訂正書類をこしらえて本庁舎の出納室まで雪の降る中を書類を出しに行くのだった。午前中はこうして多忙のうちに過ぎていく。ようやく自席に戻り、薬缶から注いだ黄色い出がらしのお茶に顔をしかめつつ、しかしそれなりの充実感を感じながら机の上の主任者配布者リストに目を通していると、どうやら誰かがブース前に立ったようだった。

「はい、こんにちは・・・」とつぶやきながら有田が顔を上げると、そこに立っているのは常と変わらず能面のような表情をした次長の佐久間だった。
「有田君、ちょっといいかね?」
 それが、全ての始まりだった。

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第1章01

第1章 始まり

 東北の冬は得てして気まぐれである。
 その日の朝、15分間の乗車を終えた有田哲平が東北新幹線を降り福島駅を出ると、駅前広場は辺り一面の銀世界と化していた。少し前に郡山に降った雪はもうすっかり溶けてしまい、ここ数日は透き通った冬の青空が広がっているというのに、トンネルをいくつか越えて山脈を隔てるだけでこれだけ違いが出ること自体が、今さらながら有田には興味深く新鮮なことに思えるのだった。

 東京での大学生活を終え福島県庁に入ってから2年間、有田にとって地元とはいえ、高校までの18年間は郡山市内を中心とした小さな世界に終始していたから、都会から帰ってきて改めて目の当たりにする古里は、まるで異郷にいるような戸惑いを有田に与えた。

 採用初日、大勢の同期と本庁舎で晴れて「福島建設事務所勤務を命ず」という辞令を受け取った直後、有田は一人だけ呼び出された。妙に白い顔をして少し酒臭い息を吐く人事課の若い職員は、昨日の酒が祟っているのか片方の眉を神経質そうにしかめながら、極めて事務的に「じゃあ、君だけはこれから電車でここに向かって下さい」と有田に宣告した。有田はその日のうちに福島と郡山のちょうど中間にある二本松市の合同庁舎に一人送り込まれたのだった。

 一人の同期はこれを島流しと呼び憐れみ、有田は有田でこれはニホンマツ虜囚であると憤慨していたが、やがて万事に慣れてくるにつれ、出先勤務ののどかな時間の経ち方は、必ずしも不快なものではないことに気が付いた。ここに有田は用地課職員として駐在扱いで通勤していたから、3年目の異動でようやく駐在を解かれ福島の事務所本体に席が移ったときが、県職員としての実質的なスタートと言ってよかった。
 春には大量の花粉に悩まされ、夏は35度を超える猛暑に晒される福島盆地ではあったが、しかし有田にとっては「出先の出先」から県都に戻され、本庁の至近にあって県政の動きを間近に感じることが出来るのはやはり嬉しいことだった。二本松時代には隔絶されていた県庁の同窓会やサークルにも参加し、登山と英会話が週末の楽しみとなった。

 高校でも大学でも、知っているOBを辿っていけば大体の幹部連中には繋がっているから、少しマメに飲み会に顔を出してさえおけば、出納長を始めとする普段は口もきけないようなお偉方と、気軽に話が出来るようになるのも福島に居ればこそのことだった。

 朝夕の新幹線通勤は快適そのもので、大体8時までに郡山駅のプラットホームに着けば、15分後には50km離れた福島駅に到着している。そこから15分間、県庁に向かう多くの職員の流れに溶け込んで、ポール・マッカートニーの新アルバムを毎朝2曲ずつ聴いていくと東分庁舎に着く。それが、半年以上をかけようやく確立された有田の朝のリズムであり、その日も有田は吹き付ける雪に首をすくめながら、いつもの中央大通りを県庁に向かって歩くのだった。
 それは、いつもと変わらないありふれた冬の一日となるはずだった。

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第0章

Death and the Flower(仮題)

 

「どんなにつらくても
 ぼくはやめないぞ、
 きっとこらえるぞ と、
 かま猫は泣きながら
 にぎりこぶしを 握りました。」

宮沢賢治「猫の事務所」より

 

※この作品はフィクションであり、

実在する人物・地名・団体とは一切関係ありません。

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雇われることから自営へ。

前の仕事を辞めてから2か月近く経つ中、色々次に向けて種をまく日々を送っているわけですが、つくづく思うのは、雇用されてする仕事と、自営業として自分を食わせる仕事は質も中身も全然違うということ。

 

なんというか、使う筋肉が違うというか、無駄であっても時間単位で給料が入ってくる会社員生活と、無駄があれば徹底的に何も入ってこない自営と。

 

会社員というのは様々なメリットがある中で、あの低い給与水準なのだなと

なんか納得するものがあります。

 

ふと気を抜くと、昔のぬるま湯が恋しいというか、サラリーマンであることが懐かしく感じられてしまうから本当に気を引き締めてかからねばなりません。

嫁さんにはいつも「あなたが老板(ラオパン:中国語で社長の意味)なんだから」と発破をかけられています。

 

意識を変えるということは、ギアを変えるというよりも、ガソリンエンジンからEVに変えるくらいな改革が必要なのでしょう。

 

とりあえず久しぶりの更新として雑感。

170823読書メモ

1 ストーリーとしての競争戦略 : 優れた戦略の条件 / 楠木建 著. 2010

→結構大部だが(500ページ超)なんとか目を通した。戦略=ストーリー=儲け話、戦略とは要するに「違いを作ってつなげること」。よってつながりが重要になってくる。小倉昌男経営学、三枝正・永守重信丹羽宇一郎柳井正の自伝。ハロルド・ジュニーン「Professional Manager」。セオリーZとG、静止画を動画に。ワールドMRO非公開化、マブチネタ多し。


2 1940年体制 : さらば戦時経済 / 野口悠紀雄 著. 2010

→大蔵省本庁舎を見てみたいと思った、Dower1993、銀行61行に統合。1930年代の新官僚革新官僚になった(マルクス主義の影響)。「戦前はむしろ借家住まいが一般的であり、かなりの社会的地位の人でも借家であった。例えば、1941年は全3483万戸中、持ち家は76万戸のみ(約2%)。興味深い本ではあったが、日本の政策史に興味があるわけではないので購入不要。


3 イノベーションのジレンマ : 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき / クレイトン・クリステンセン 著 ; 玉田俊平太 監修 ; 伊豆原弓 訳. 2000

→スタートアップにはあまり役に立たない本、かなり分析寄り。大企業に勤めていれば頷きながら読めるのかも知れない。HDDの話多すぎ。


4 3年でトヨタを卒業。貯金もゼロ、人脈もゼロ。そんな私が自分の会社をつ 藤嶋京子 著. 2015

→著者はカラーコーディネーター出身、ヤフオクと物販で起業。「ビジョナリーカンパニー2」(誰をバスに乗せるか)、「もしドラ」に言及アリ。PL保険、海外留学、直TELによるレビュー消し。ipod/iphoneケース、スケールメリット。プロジェクトマネジメント、スケジュール管理の勉強の要。


5 小さな会社の稼ぐ技術 : 竹田式ランチェスター経営「弱者の戦略」の徹底 栢野克己 著 ; 竹田陽一 監修. 2016

竹田陽一氏。ランチェスター経営、孫氏の兵法、孫正義の動画。移動は一切利益を生まない。弱者の戦略。「中小企業と屏風は広げると倒れる」


6 一流の人はなぜそこまで、靴にこだわるのか? = The importance of shoes to business 渡辺鮮彦 [著]. 2017

→ウィリアム・チャーチによれば出張時の靴は黒カーフと茶スエード2足で良いのでは。著者はブリティッシュメイド/渡辺産業社長。靴、ベルト、鞄のレザー色合わせについては、イギリスではあるいは鞄まで色をそろえる人は多くないかも。デリケートクリームは片足で米粒3粒程度。 ①内羽根フルブローグ ②茶スエード靴 ③スコッチグレインレザーのカントリーシューズ。日本の一部にある黒のキャップトウ(ストレートチップ)至上主義は如何なものか 


7 儲けのしくみ : 50万円からできるビジネスモデル50 / 酒井威津善 著. 2017

新しいビジネスモデルを発想。四つの軸①対立概念 e.g.男と女反対に存在するものが使えないか②シーケンシャル上中下、高中低→並びを変えてみる③ビジネスプロセスSupply&Demand提供側-企業(バリューチェーン)利用側-顧客(AIDMAそれぞれの流れのどこかを変えてみる④カテゴリー今属しているものとは別のものに置き換え、性質
垂直志向 具体化と抽象化を行き来すること、二つの違うものの共通点と相違点を見出す買って読んでみてもいいかも。

 

以上備忘録まで。

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