僕がシュリーマンになるまで(仮)

How I become a multilingual millionaire

小説第1章04

 それはさかのぼること2ヶ月前のこと、やはり有馬は今回同様、突然ブースの前に立った佐久間に「ちょっといいかね」をやられたのだった。そのままブース前の椅子に座った彼は、有馬に向かって唐突に世間話を始めた。
「有馬君、最近仕事の調子はどうかね。」
突然次長から勤務時間に世間話をされるとは思っていなかった有馬は、無難に答えることにした。
「はあ、おかげさまでなんとかやっています」
「ところで有馬君は英語が好きなんだってね」
なにが「ところで」なのか皆目分からず、こう答えた。
「はい、本庁の英語サークルに入って、国際交流員と会話の練習などしています」
「職員調書を見たけど、国際課での勤務を希望しているんだってね」
「ええ、出来れば英語を使って仕事をする機会があればいいなと思っています」
「なるほどね。ふむふむ。」
 何がなるほどなんだろう、と有馬が訝しげに佐久間を見つめると、
「いや、実はこんな回覧が回ってきているのは知っているかな」
と、手にしていた一枚の紙を有馬の前に差し出した。そこには、「自治体国際化協会シンガポール事務所への派遣職員の公募(お知らせ)」という題で、3年間の期限で派遣する職員を庁内公募するという内容が載っていた。もちろん、有馬はその書類を数日前に課内回覧で眼にはしていたが、条件に「3年以上勤務している勤務態度優良な職員」という文言があったので、まだ採用されてから満3年を経過していない自分には応募資格がないものと勝手に諦めていた。大体、シンガポールなんて何のイメージも湧かない、どうせ東南アジアだから、やたら暑くて福島同様鄙びた所に決まっている。しかもそれまで有馬はほとんど海外旅行に行けてなく、「外国に一回も行ったことがないのに英語が比較的流暢に話せる自分」に妙な自信を持っていたので、海外に行くことでそれを自ら崩すようなことはしたくないと考えていた。
「はい、数日前に目にしましたが、私は応募資格に該当しないと考えていました。今年でようやく3年目ですから」と述べると、
「いや、この3年以上というのは今年の4月時点での話だから、問題なく応募できるんだよ。というのは、所長ともちょっと相談してきたのだけれど、せっかくこういう回覧が回ってきているのに所内では誰からも応募がないんだが、あなたのことが少し話に出てね、勤務態度も真面目だし、本人さえやる気があるのであれば推薦しようかという話になったんだよ。やってみる気はある?」と意外なコメントが返ってきた。
「ええ、それは推薦していただけるのであればもちろんやってみたいです」
「分かった。ただね、こういうのは公募とはいいつつ、だいたい本庁の有望な若手の何人かがリストアップされていて、その中から選ばれるのが常だからね。あなたのような20代で入庁したばかりの人が選ばれることはまずない、と考えた方がいい。」

「ただ、次かその次の職場か分からないけど、いつか本庁に行って同じようなチャンスが回ってきたときの予行練習として考えれば、こうした経験を積んでおくのも一つあなたのためになることだから、期待はせずにとりあえず受けてみるといいよ。じゃ、やる気があるということで推薦しておくから、後日面接に行って下さい。よろしく。」
と諭すように有馬に伝えてから、佐久間は自席に戻っていったのだった。

 

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バンコクメモ 171102

11/2(木)

毎日起きるのが遅い。緊張感がなくなっている証拠だ。

昨日一日割と大冒険だったので、今日は大人しく過ごす。つまりまたサイアム。二度目のMBK訪問、上から下まで隈なく見て回る。僕らはレザー物を主として見て回ったけど、MBKにあるのはどうも安っぽかったり嘘っぽかったりするバッグばかり(奥でロゴを付ければ立派なGuc〇iですよ、とかそういうもの)。お昼もMBKの7Fフードコートで食べる。ガパオ的な肉だと思って注文したものがミャンマー味付けの大豆製品で萎える。

CLAIR時代に出張で来た時にサイアムで飯を食ったレストランを見かけた。なるほど外国人が好きそうな店だ。他にA&Wとか、僕らが好きな店が並んでいる。さすがこのエリアはブラブラするだけで楽しい。

Siam DiscoveryにあるFood Republicに行った。タイのフードコートの会計方式はカード式が多く、最初にCasherに行って所要金額をチャージしたカードを受け取る。各ブースでカードで支払い、帰る際に残金を返してもらうシステムだ。これだと料理人が現金に触れることを防げるし、毎回通う人は一定額をチャージしておけばいつでもキャッシュレスで支払える仕組みだ。慣れると非常に便利。

そしてショッピングの終盤、Z社の皮バッグに出会ってなかなか良い革を使っているようで思わず衝動買いしてしまう。日本だと阪急メンズで5万円近い値段で売っているようだが、ここだとなんと2万円。革はイタリア製のヌバックを使い、縫製と製作をタイで行っているらしい。非常にクオリティが高く、今から銀座デビューが楽しみ。

晩飯はまさかのソンブーン再訪。だって安いしおいしいしサービスいいし。僕は午後色々つまんだので結構腹いっぱいだったのだが、嫁さんはカニやらエビやらここぞとばかり満喫していた。ていうか毎食ソンブーンでも別に障害ないかも知れない。

帰り道にTescoに行ってお土産を物色。なんだか安っぽいものばかり買った。

(完)

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バンコクメモ 171101

11/1(水)

 「せっかくここまで来たのに食べてばかりいる」とのお叱りで、今日は観光することに。まずは歩いて宿舎近くのジム・トンプソンハウスに行く。バンコクには何度も来ているのに、なぜかここはあまりにベタな観光地過ぎて来たことがない。ツアー時間を確認したら英語は出発したばかりで20分後だという。「日本語や中国語はどうですか」と聞いたら日本語ツアーはちょうど出発するところだというので急遽参加した。

 家はコテコテの現地様式で、五角形の形でもって建物全体の強度・耐久性を上げるものらしい。邸内にある様々な調度品・仏像を見学しながら20分ぐらい見て回った。

 次いでアソークの駅に移動し、以前泊まったことのあるTホテル界隈に。ここではバーンカニターというレストランでソフトシェルクラブカレーを食べた。うまい。そしてこれを食べにバンコクに来たとまで言うと言いすぎだが、嫁さんが大好きなグレープ+ビーフサラダ。下に敷いてあるのが単なるキャベツの千切りであることを忘れる位うまい。ぶどうとビーフスライス焼いたものがこんなに合うとは。

 そのあとアソークからMRTにてフアランポーン駅へ、そして徒歩でチャイナタウンまで。途中でゴールデンブッダの寺があったので拝観する。排ガスがすごく、ようやくチャイナタウンに着くもあまりの空気の悪さに喫茶店にて休憩。

 バンコクのチャイナタウンも実は初めて行った。感じとしては、昔のシンガポールもあるいはこんなだったかと思わせる中華街ぶりで、結構汚い。料理はやはり南洋華人の定番料理が多い(バクテーとか)。あとフカヒレのレストランが多かった。噂によれば通常の何分の一かで安価にフカヒレ料理が楽しめるらしい。勿論我々はスルー。

 チャイナタウンを北から南下し、フェリー乗り場に。サバーイタクシンまで16バーツ、西洋人客多し(フランス人が中でも多かった)。MRTに乗って帰宅、夕食はバーンイサーンムアンヨット。しかし日本人率高く、周囲のテーブルは全て同志们だった。呵々。イサーン料理としてはガイヤーンの方がおいしかった気がする。しかし会計は恐ろしく安かった。素晴らしい。

 夕食後、体力がまだ残っていたのでスカイバシロッコに。MRTスラサックから徒歩10分弱、ドレスコードに怯えていたので全然問題なく屋上に。やはりここからの眺めは最高。カクテル一杯が710バーツ(2400円程度)と安くはないが、一杯頼むとエンドレスにおつまみがいただける。実に気分爽快な夜でしたとさ。

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バンコクメモ171031

10/31(火)

 到着した次の日に無理をするとまず全体の行程に響く。よって今日は一日ショッピングと美食Dayとする。寄る年波には勝てないのである。

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 まず8年ぶりのセントラルワールド訪問。サイアム乗換、緑線のChit Lom駅。セントラルワールド内はそれほど変わっていない。以前は高級ブランドに興味がなかったが、銀座回遊を趣味とする今日ではむしろこういう環境でないと落ち着かない。ありがたし。

 革製品を中心に見るが、当然ながらヨーロッパの輸入ものは日本より高い。ラコステも見たがやはり高い。中国製にまったく偏見はないつもりだが、若干生地が薄いのに加え一切の値下げをしない強気の値段だ。そのほかモンベルがあったり、Narayaを見たり。Narayaは8年前には実に魅力的に見えたものだが、今回見ると実に安っぽい作りに見えた。お気軽な現地土産には出来ようが、これをブランドとして確立するのは難しいような気がした。

 スタバで休憩後、お昼のイサーン料理店を目指すがセントラルワールド近辺は大渋滞である。Grabでタクシーを2回捕まえるもあえなくキャンセル、流しを拾おうとすれば250バーツかかるとのこと。面倒なので緑線で最寄り駅プロンポンまで行くことに。

 駅からタクシーに乗り、到着したら3時過ぎ。腹減った。イサーン料理は辛さがウリの料理なのだが、嫁さんが辛いの苦手なので辛くないやつ頼んだらソムタムサラダもカンコンも実に味気ない。しかしグリルチキン(ガイヤーン)は実にうまい。チャーンビールと一緒で、食後のマンゴーカオニャオの恐るべき甘さに震えながら会計。実に美味。

 その後再度サイアムに戻り、MBKに行く。ここは昔非常にボロボロのビルで暗くてなんだか怪しい雰囲気満載だったが、近年改築したらしく実に近代的なビルへと生まれ変わった。階層は7階、Tokyuが入口近辺に入居している。ここに限らないが、バンコクではLevi'sとLeeは必ず隣同士にあり、値段もそんなに変わらない。当然Westernerはない。メンズブランドは大抵同じような顔ぶれだ。ミドルレンジのタイローカルの服を探していたのだがあまり良いものはない。至極残念。というかMBK自体が安物ばかり売っているような、観光客向けの場所ではあるのだが。。

 途中、MBK内でカルディカフェを発見。日本では見たことがないが、売ってるものも出すものも実にカルディである。地元駅でいつもお世話になっている昨今、嬉しくなりコーヒーを注文ししばし休憩。

 MBK5階は宝石、銀行等が軒を連ねるキンピラピンピンフロア。いくつかお土産を物色して、見当をつけてからいったんホテルに帰る。夕食はサイアムパラゴンのB1Fで食べた。タリンプリンのタイ料理である。これまたなかなかだった。

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171030 バンコクメモ

10/30(月)

14:15着陸、やや旋回。

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ス空港は8年前と大きく変わらず、平日午後でもあり入国審査もあっけないもの。着陸後シンガSimをアクティベートしたらすぐ4Gにつながる。これで1カ月1GBS$10とは恐れ入る。

スーツケース回収後Nothing to declareは出口狭く結構混む。名古屋からの便が同時刻に着いたため周囲に同志们多し。到着ロビーからシティリンクまで遠く、空港をグルグル回る。パンフもらってB45x2でチケット購入。

電車は12分に一本出るらしい。若干不思議な並ぶライン、到着後車内を警官?が見て回る。その後乗車。電車は特急廃止のため各駅停車、30分強でパヤータイ駅着。BTSへの乗り換えが出て下りてまた上がってとやや面倒。バンコクの駅はエスカレーターやエレベータが少ない。

緑線二駅でサイアム、1フロア上で青線に乗り換え最寄り駅へ。下りにエスカレーターなく自力でスーツケース運搬。16:20頃ホテル着。ホリディインは割と綺麗な感じ。Vホテルを小綺麗にしたようなもの。

シャワー休憩後近場を歩く。Tescoで色々面白いものを見た。やはり地物は恐ろしく安い。これを仕入れてシンガに陸送するだけでも儲かるだろう。シンガの小商店はこういうところから調達しているに違いない。

夕飯Y君とソンブーン。プーパッポンカレー、トムヤムクン、チリカンコン、エビ春雨、エビあげをシンハーで。嬉しいので飲み過ぎ話し過ぎ、要らぬことまで喋ったのではないかとやや自己嫌悪。しかし会計は2000Bとこの頼もしさ。さすがタイ。

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お土産は液体多く重い荷物で申し訳なし。22時散会。その後寝る。

 

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銀座百景001:数寄屋橋交差点

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 僕にとって銀座の起点は数寄屋橋交差点だ。

 

この交差点は特に桜の時期が素晴らしい。都心でも他の場所と若干気象条件が違うらしく、どちらかというと靖国千鳥ヶ淵のような王道の見どころに比べ、やや遅れ気味に桜が開花する。

 

桜脇の交番はきちんとスクランブル交差点を見張っているので、ルール違反の渡り方や停車違反のタクシーがいるとスピーカーで注意する。タクシー、高速バス、その他多くの車が行き来する交差点だ。

 

同じスクランブルの渋谷駅前交差点より格段に渡りやすい。東急プラザ側、ソニービル側、どのサイドから渡っても良い。この交差点を超えれば日比谷有楽町で、銀座とはまた違った雰囲気の街になる。

 

個人的おすすめは東急プラザ屋上から見下ろす数寄屋橋。僕は銀座という街は自分の興味志向によって様々に色を変える宝石が沢山詰まった宝箱のような場所だと思っている。その宝箱への入り口として、僕は大抵数寄屋橋サイドから銀座に入る。

 

銀座百景000:はじめに

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「銀座は不思議なところだと思った。銀座はもはや昔の銀座ではない。昔日の銀座の魅力といったものを具体的に構成していたものは、もはや何もない。残っているのは単に道路だけだ。汚い、うすよごれた道路だけだ。しかもなお若い男女が銀座を慕ってやってきている。若い男女の華やいだ遊び場所として依然として銀座が選ばれている。もうそんな華やいだ場所ではないのに、--遊び場所としてはどこだっていいのに--もはやどことも変わりのない銀座だのに--しかもなお銀座が選ばれている。
 銀座は滅びないと思われた。昔の夢を追って、昔の華やかさを夢みてここへ来るのかも知れないが、昔の夢は失われていてもやはり銀座には何かあるにちがいない。」

                 高見順「敗戦日記」1945年1月14日  

 

 僕は学生時代東京にいたけど、銀座という街には正直言って縁がなかった。そもそもがファッションに興味がなかったし、なんだか大人の街という印象で歩く度に気後れがするので、わざわざ銀座に来てブラブラしようとも思わなかった。

 唯一かすったぐらいに縁があったのが、当時中学生だった弟が高校入試に合格したので、お祝いに東京に連れてきて山野楽器のPATAライブに送り込んだ時。シルバーのレスポールを持ち込んであわよくばサインをもらおうとしたらしいけど、なかなか難しかったらしい。その時に、銀座駅の地下道で迷いながら「もう俺も東京に何年かいるのに、全然こういう地下道は歩きなれないな」と思ったことを強く覚えている。(そしてその地下道を今ではほぼ毎日に近いくらい歩いているという。。)

 前の会社に入って、ちょうど5年間銀座に通った。楽しいことも辛いことも色々あったけど、でも結構楽しいことばかりあったような気もする。外国のエンジニアを接待する店は大体お決まりの老舗が多かった。時々、昼休みに営業チームのおごりで近くのレストランに行くこともあったし、後半の2年くらいはむしろ積極的に新しい店を開拓しようとしていた。

 僕は銀座が好きだと思う。週末だったら多分朝から夜までずっと居れる。

この「銀座百景」コーナーでは、割と適当な銀座に関する雑文を書いていきたい。